「優しさ」で疲れてしまうあなたへ ― 無償の愛と共存する愛のちがい
- 勝田 静佳

- 2025年11月21日
- 読了時間: 2分
昔から私は、人に紹介されるたびに「優しい人」と言われることに、どこかモヤモヤしていました。
優しい—— 一見すると褒め言葉のようですが、
当時の私には「自分がない」「都合よく扱われる側」
そんなレッテルのように感じてしまったのです。
優しい以外に取り柄がない。
優しくしなければ私じゃなくなる。
そんな“呪いの言葉”のような思い込みに、自分自身が縛られていました。
優しいから相手にしてもらえる。
優しいから褒めてもらえる。
気づけば、自分の存在価値と引き換えに
“自分”を小さくし続けていたのが、過去の私です。
今でもその名残を感じる瞬間はあります。
でも今の私は、「無償の愛の危険性」と「共存する愛」の違いを
はっきり理解できるようになりました。

■ 無償の愛は尊いようで、自分を消してしまう
「見返りを求めない愛」は美しく聞こえますが、
実は自分をすり減らし、疲弊させ、時に利用されることもあります。
相手のために、を続けるほど、自分の輪郭が薄れていく。
それが“危険な愛”だと私は感じています。
■ 共存する愛は、自分も相手も大切にできる愛
共存する愛は、相手を否定しないけれど、
自分の境界線(バウンダリー)をしっかり守る愛。
流されない。
無理をしない。
自分を犠牲にしない。
だからこそ、長く続く強い愛になるのです。
■ 「優しさで疲れる人」は、この2つが混ざっている
優しさがある人ほど、無償の愛と共存する愛がごちゃ混ぜになりがちです。
もし今——
・報われない
・私ばかり損している
・利用されているように感じる
・優しいはずなのに苦しい
そんな気持ちがあるなら、
あなたが使っているのは“共存する愛”ではなく“無償の愛”なのかもしれません。
■ 自分の気持ちを丁寧に見てみるタイミング
疲れてしまう優しさの裏には、
「本当はどう感じているのか」という自分の声が隠れています。
なににモヤモヤしているのか、
どんなときに苦しくなるのか。
一度、落ち着いて自分の内側を見てみてくださいね。
あなたの優しさが、あなた自身を苦しめるものではなく、
“しなやかな愛”として続いていきますように。




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