感情があることは、幸せ
- 6月10日
- 読了時間: 2分
自分が生きている意味を考えたとはありますか。
一度はふと、思いを馳せたことがある方も少なくないかもしれません。
生きる意味を考えすぎて、
息が詰まるように感じたり。
死んだ後の「無」に思い至って、
怖くなったり。
何のために生きているのか。
この選択は正しいのか。
意味のある時間を過ごせているのか。
そうやって考え続けていると、
生きることそのものが
どこか重たいもののように感じてしまうことがあります。
ただ、最近になってようやく気づいたシンプルなことがあります。
感情があるということ自体が、
もうすでに幸せなのかもしれない。

嬉しい。
悔しい。
悲しい。
腹が立つ。
感情があるからこそ、振り回されもするけれど、
そのどれもが、生きているからこそ感じられるもの。
もし何も感じなくなってしまったら。
嬉しいことがあっても、心が動かない。
悲しい出来事があっても、揺れない。
何をみても、何を聞いても、
心が1ミリも動かない。
それは穏やかというより、
生きている実感が失われた状態なのかもしれません。
感情があるということは、
それだけ不自由さも伴います。
程度はさまざまですが、
私自身も一度、このような状態に陥ったことがあります。
それでも、今振り返ると、
そのすべてを含めて
「生きている」ということなのだと感じます。
苦しみをなくすことが、
生きる目的なのではなくて、
苦しみがあるから喜びも際立ち、
迷いすらも人生の糧となる。
一般的にはネガティブと捉えられる感情も
すべて引き受けながら生きていくこと。
それが、宿命なのだと思います。
できれば避けたいものばかりだから。
けれど、生きている以上、
完全に避けることはできない。
それが、本来の人生をまっとうする。
ということなのかもしれません。
もし今、
自分の感情に振り回されていると感じていたり、
どうしてこんなにも辛い思いばかりするのだろうと、
暗闇の中にいるように感じていたとしても、
それは
生きている証拠でもあります。
そこからまた何を掴むか。
どう捉えるのか。
それが、その後の人生の分かれ道になるのかもしれません。
私たち人間は、出来事そのものを選ぶことはできません。
けれど、その出来事をどう受け取るのかは、
自分で選ぶことができます。
意味を与えることも、
あえて意味づけをしないという選択も。
そう思えるだけで、
少しだけ呼吸が深くなることがあります。



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