生きて、子どもに会えること
10月15日
読了時間: 2分

数ヶ月前、子どもが産まれました。
輸血手前の出血多量でした。
マタニティーの時は、病気なく、健康に生まれてくれるか、定期検診で順調と言われていても、何が起こるかわからない。
常にそういう漠然とした不安を抱えたまま過ごしていました。
出産は命懸けです。
この医療が発達している日本でも、お産で亡くなられる方はいらっしゃいます。
おめでたいだけではないのが、出産です。
上の子が不安にならないように、明るくお家を出ましたが、もしかしたら、最期になるかもしれないと。
大袈裟と思われるかもしれませんが、当たり前を当たり前と思っていないからこその気持ちなんです。
生きて、生まれた子に会えたことも、またお家に帰って上の子に会えたこと、全てが当たり前ではないのです。
でもここで書きたいのは、綺麗事でもお説教でもありません。
日常に戻ると、文句も出ます。
パートナーへの不満、子育ての悩み。
思うようにいかないのが人生、
命の尊さや危機のことなんて、忘れて過ごす日もある。
人はそういうものです。
ずっと感謝し続けることは、できない。
でも、あの日の体験は、私の中に残っています。
普通に暮らせること、ご飯を家族で食べられること、
小さな子どもを抱きしめることができること。
それがどれほど大事で尊いことか。
派手ではない、この毎日そのものが、宝物だと。
香りも、そういうもののためにあると、私は感じています。
答えを示してくれるものではなく
今、手の中にあるものに、意識を向けさせてくれる。
慌ただしい1日の中で、ふと一呼吸おく。
その小さな一瞬に、思い出せることがあるのです。




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