自己犠牲の位置に戻らないために
- 4月10日
- 読了時間: 3分
長年染みついた行動や思考は、
短時間で抜け出すことはできません。

たとえ本人が「しんどい」という感情を持っていても、
気がついたら自分が調整役になっている。
「わたしが少し我慢したら丸く収まる。」と思ってしまう。
断れなくて、疲れる。
これは、意志の強い・弱いの問題ではありません。
自己犠牲は、正確には「善良さ」でも「性格」でもなく、
自分自身が“それを自分の役割だと無意識に認識している”ことに深く関係があります。
誰も引き受けなければ、最終的には自分が。
場の調整を保つ位置を、敏感に察知できてしまう。
空気を読みすぎる。
条件付きで引き受ける(境界線を引く)ことを知らない。
いわば自己犠牲は、自分の限界を決めないまま、
巻き込まれてしまった結果として起こる、構造的なものなのです。
ライフセーバーを付けづに海難救助に入るようなもの。
助けるつもりで飛び込んでも、
こちらが先に沈んでしまう。
そして「今日こそは」「次こそは」と、
強い意志で「断る」と決めていたとしても、戻ってしまう。
理由は単純で、
慣れている。
評価されやすい。
即効性がある。
一時的に「うまく場が回った」という感覚が得やすく、
習慣化しているぶん、引き受けるハードルが低いだけなのです。
ここで言う自己犠牲とは、
自分の限界を決め切らずに引き受けて、
疲弊してしまうことを指しています。
では、自己を犠牲にしないために、何をしたらいいのか。
「頑なに断る」「頑張らない」
そういうこととは、少し違います。
必要なのは、3つ。
・役割と自分を分けて見る視点
・これは“自分の役割”なのかを問う姿勢
・永久契約と思わないこと
そして、どこまで対応ができるかの線引きを明確にすること。
譲歩策(代替案)を持つことが、
自分犠牲をせずに立ち回れるポイントになります。
「全てはできない。けれど、ここまではできる」
「この条件が整っているなら、できる」
「別の形なら関われる」
そうやって、自分が沈まない範囲で関わる。
さらに、今まで自己犠牲を払ってきた人が、
その位置を降りると、必ず起きる違和感についても、
自覚しておくことが大切です。
揺り戻しに耐えられるから。
・自分が冷たくなった気がする
・役に立てていない感覚が残る
・空白や沈黙が怖い
でもこれは、失敗ではありません。
これこそ自分の立ち位置が変わったサインです。
自己犠牲を払わない=誰にも何もしない
ということではありません。
無関心になることとも違います。
・背負う前提で立たないこと。
・場を治めるために入らないこと。
・代替可能な位置に自ら立つこと。
関わり方を変えるだけで、自己犠牲は減っていきます。
かつての私は、自己犠牲から抜けようともがくほど、
すべての関係を断ち切るような、
何を言われても「NO」と首を振るような、
そんな感覚に囚われていました。
戦う先を見誤っていたのです。
敵にするべきなのは他人ではありません。
自分の中にある「役割の自動配置」です。
自分ができることを明確にして関わる。
「ここまではできる、ここから先はできない。」
「この条件や環境が整っていれば、できる。」
いろんな角度から代替案を出しながら、関わっていく。
まずは、自分の役割意識の配置を変えて見てみましょう。
それだけで戻り方が変わります。



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