理論武装で生きるのを、休む
- 4月5日
- 読了時間: 3分
子どもが大人になる過程で、
「理論を語れるようになる」という言い方がある。
それは、
自分の感覚や起こった出来事を、
言葉で説明できるようになる、ということだと思う。
私たちは、まず生まれてから、
五感をフルに使って世界を体感することで、
自分に備わっている感情を知る。
その感情のままに行動するようになり、
次に、他者にも自分と同じ感情があることを知る。
これが、社会性を学ぶ大切さ。
自分の感情だけで生きることは、
生きづらさに繋がることを学ぶと、次に、
自制心が生まれたり、交渉力がついたり、
さまざまな技術や能力を訓練するようになる。

そのうちの一つとして、
理論というものもある。
ここでの理論とは、
合理的に説明できる能力であり、
自分を守ための説明装置のこと。
因果関係を示せる。
筋道を立てられる。
相手が納得しやすい言葉を使う
自分が感じたこと、
起きたこと、
違和感を
を言葉に置き換える技術でもある。
例えば、
怖い→リスクが高い
しんどい→合理的でない
嫌だ→再現性がない
と言い換えられる能力。
理論を語れるようになることは、
社会で生きるうえでは、とても大切なこと。
それは、
自分を賢く見せたいとか、
正しくありたいという欲求よりも、
無駄に傷つかないために、
身につけるものだったりする。
ただ、理論が増えれば増えるほど、
身体と心が分離していくような感覚をもつ。
理屈は合っている。
説明もできる。
なのに
「なんか違う」という状態。
そこに気づいて、
一度立ち止まる人もいれば、
なんとなく見て見ないふりをして
進み続ける人もいる。
どちらが正しい、という話ではなく、
そこに気づいて一度止まると、
今までと同じ進み方が、できなくなる。
理論武装を強くなると、
言葉の選び方にも癖が出る。
理論武装をしていた頃の私は、
よくこんな言葉を使っていた。
「一般的には・・・」
「誤解してほしくないけど・・・」
大多数の常識を引き出して、
その陰に隠れるようにして、
「じゃあ自分はどうなん?」を語らなかった。
これは、
語れない人が大勢いる、
ということでもある。
なぜなら、
多くの大人は、お金を稼がなければ
生きていけないし、大事な人を守れない。
そういう“人質を取られた環境”では、
自分の良心だけで生きることは難しい。

だから、理論武装は必要だし、
間違いではない。
ただ、人生の隙間時間くらいは、
この理論武装を解除してもいいと思っている。
むしろ、解除しなければ、
私たちはバランスが取れない。
現に、頭で生きている人は、
どれだけ多いだろうか。
身体と心の不一致が起こす弊害は、
思っているよりも、ずっと深い。




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